イエスキリストの真の目的




◆説教個所:ヨハネによる福音書9:35〜41

【背景】

前回の続きです。生まれつき盲目だった男がパリサイ人に尋問されても、イエスこそがメシアだということを主張し続けたために、彼は神殿の外に追い出されてしまいました。それを見たイエス様が彼に近づき、そして自分自身がメシアだと告白されたのです。

【ポイント】

1.主の目的は「いやし」ではなく、( 救い )である

この盲目の男は癒されたのですが、イエス様はあえてこの男に近ずいて行きました。それは彼に救いの恵みを与えるためでした。イエス様の目的は「いやし」ではなく、「救い」にあるからなのです。

2.自分が( 闇の中 )にいることを認める者に救いがくる

イエスキリストは世の光ですが、自分自身が光の中にいると思っているならば、光は必要ではありません。闇の中にいることを自覚して初めてイエス様が必要であり、悔い改めに導かれるのです。

【まとめ】

自分は強く、正しく、何でも見えていると思っている人は自分の闇(弱さ)に気付かないので神を求めません。しかし自分は弱く、小さく、何も見えていないことを自覚できたら、本当に神を求めるようになり、その霊的な目が開かれて、救われるのです。

【参考】

「君はあまりにも、ごうまんすぎた。君はまだ、自分を頼りにしている。もし、すべての誘惑に、負けず弱らず、静かに落ち着いて、打ち勝とうとするなら、君は、君自身を私に明け渡さねばならん。君は、けっして大きくもなく、強くもないことを認めねばならん。そして、子どものように手をひいてもらわねばならん。私の子どもよ、さあ、おそれないで手をお出し、どろ沼があれば、おんぶして運んであげよう。きみは小さく小さくなりなさい。小さな子だけが、父におんぶしてもらえるのだから」(ミシェル・クオスト「神に聴くすべを知っているなら」)

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