信仰による義
◆説教個所:ローマの信徒への手紙 9:30〜10:13
【背景】
私たちの信仰の目的は義とされることです。義とは神様から罪の赦しを受け、清められて神にふさわしいものに変えられることです。イスラエルの民は律法に従うことによって救いを得ようとしたために神の義を得られませんでした。私たちは行いではなく、信仰によって義とされなくてはなりません。それが信仰者が歩む道なのです。
【ポイント】
1.神の義は( イエスキリスト )を通して与えられる
洗礼が信仰生活のゴールではないように、律法を守ることが信仰のゴールではありません。私達は律法を守ることを通してイエス様を求めるようになり、そこから義とされ、救いに導かれるのです。すなわち、イエス様に対する信仰が私たちを救うということです。
2.( 信仰 )によって全ての人が救われる
決して有能、多才な人が救われるわけではありません。決して分け隔てされることなく神を信じる人が救われるのです。主の前に聖なる捧げ物をし、イエス様を信じる信仰によって救いを体験しようではありませんか。
【まとめ】
私たちは神の愛によって一方的に救われているのですが、そこには義が必要です。そのために私たち自身が神を愛し、神のために生きるという決断をすることです。私たちはただ従えば良いのではなく、イエスキリストを愛するがゆえに従い、喜んで信仰生活を送ることにこそ意味があるのです。
【暗唱聖句】
『 では、何と言われているのだろうか。
「御言葉はあなたの近くにあり、
あなたの口、あなたの心にある。」
これは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉なのです。 』
(ローマ 10:8)