一粒の麦になられた主
◆説教個所:ヨハネによる福音書12:20〜26
【背景】
ここに出てくる24節「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ。」は大変有名な御言葉です。イエス様はご自分の命を捨てることを通して、全ての人を救いに導かれました。まさに十字架の死という犠牲によって贖いの業をなされたのです。私たちもイエス様に倣い、自分自身を犠牲にすることを通して一粒の麦として生きる者になりたいものです。
【ポイント】
1.一粒の麦として( 自分を捨てる )者になろう
いつの間にか自分のことばかり、自己中心の信仰生活に陥りがちですが、この自分中心は大きな罪です。私たちはイエス様のごとく自分を捨て、神中心に生きることが求められるのです。
2.一粒の麦として( 多くの実を結ぶ )者になろう
一粒の麦から育った麦の穂には20以上の麦粒が付きます。私たちも自分自身が救われることによって多くの人々が救いに導かれることを願いながら進んで参りましょう。
【まとめ】
自分自身が何のために生きているのかを考えて見ましょう。決して自分自身の祝福、恵みのためではなく、神の栄光のためです。この思いを常に持ち続けていくためにもこの御言葉を心に留めましょう。
【暗唱聖句】
「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」(ヨハネ12:25)